2009 年を振り返る

晦日おかがおすごしですか。今日は手短に一年を振り返ります。昨年の目標から振り返り。


http://d.hatena.ne.jp/sheepwolfskin/20090104/1231028314


ざっと研究カンケーは達成、一方 TOEIC は受験すらできませんでした。。


今年は学生→社会人という大きな変化がありました。研究を仕事とする、ということ。当然ストレッチされており、それ相応の目で評価されているという風に感じています。もちろん、このままではいけないけども。。反省の毎日でした。





今年も多くのモノを得て、同時に多くのモノを失いました。一番大きな収穫は



ヒトの気持ちは変わる。だからこそ、変えることもできる。



ということ。背負いあうことのできる大きな人間になりたいと思います。それでは来年もよろしくお願いいたします。皆様よいお年をお迎えください。来年はもっと攻めの姿勢でいきます。ということで今から初詣、そして雪山へ行きます。

DINKs という価値観

DINKs って言葉をご存知ですか?


wikipedia[ja]より
http://ja.wikipedia.org/wiki/DINKS

WIKI 英語版。DONKY じゃないよ:笑
http://en.wikipedia.org/wiki/DINKY

Double Income No Kids の略、共働きで子供なしという選択をする生活観、価値観をいうみたい。どうやらスラング?のような扱いみたいで、最近は childfree なんていう言葉に代替されているそう。正直なところ、田舎ではなかなか出会うことのなかった価値観ですが、都会に出てきて、そういうスタイルの人、結構いるんだなと思いました。


いまさら言うのも憚られますが、仕事の出来・不出来に男女の違いなんてなくて、優秀な人はどんどん責任ある立場で責任ある仕事をしています。(少なくとも自分のいるとこは、そうだと思います)どんな世界でも、そうなんじゃないでしょうか。結婚にしても子供にしても、昔のように、妙に偏った思想を押し付けられたり、外圧がかかるようなことも少ないように思います。核家族化・匿名社会のいいところ?


と同時に、日本国政府としては残念でしょうが、子供を欲しいと思わない、という価値観(男女ともに)も、一般的なものになってきてると感じます。(特に、これからの日本で子供をってのは、ちょっと大変かなと思ってしまう;)


DINKs 云々は、本質的には、生活観、価値観を選択する手前の問題なんですが、、まぁ、いろいろあるんだなと思う、今日この頃です。しょうもないこと考えてる間に、明日からもう師走です。

乾いたスポンジを絞るように

今日は一段と冷え込んだ、関東一円は一桁台の気温!風邪にインフルに、気をつけねば!


さて、まだ少し先の話だけれど、刻一刻と職場でのゼミ当番が近づいている。企業における研究者にとってのゼミは、大学院でのゼミと、似てるっちゃ似てるし、違うとこは違う。思いっきり基礎っぽい話をしてくれる人もいれば、新規テーマの提案をする人も。実験技術に焦点を当てた話まで、まさに十人十色だ。


バックグラウンドが職場内でもダントツに弱い状況のぼくは(なにせ相手はこの道ウン十年のベテラン揃いだ!)、勿論何を話すかに頭を悩ませることになる。そもそも人に話せるような手持ちのネタがないから、「マイペースでコツコツやってたインプット」を「ハイペースでガツガツやるインプット」にシフトするなどしている。どうせなら、冗談みたいな話をぶち上げて、思いっきりどついてもらおうと考えてる。新人はどつかれてナンボ、期待してないと言ってくれる職場の先輩、上司にはほんとに感謝だ。


そんなわけで最近シコシコやってるのは、職場で進行中のテーマのはじまりを、自分でトレースしてみること。学術論文は勿論、特許情報、市場調査報告などなどを寄せ集める。並べたり、表にしてみたり。これが、ムダなこととは現段階では考えてない。


マーケットがあって、作りたい/作るべき プロダクトの絵が浮かんでくる。浮かんできた絵は、パズルになってて、ピースをあらゆるところから集めてくる。一片一片は、大変素晴らしいピースなんだけれど、どうしても合わせられない部分が出てきたり、組み合わせられるけど模様が合わなかったり、やっとできた絵は、遠くから見ると絶望的な作品だったり。やっとこさできた頃にはもっと素晴らしい絵を他の誰かが完成させてたり。あとは絵柄自体に流行り廃りがあったり。・・・そもそもこのアナロジー自体がおかしかったり。


こんな作業を始めて、モノを産み出すためのテーマの立ち上げには、現在進行形の仕事を進めるときとは、異なる種の苦しみがあるに違いないと思うようになった。若手(30 台前半-後半まで?気持ちが若ければみんな若手か??)の先輩が立ち上げてやってるのを見ると、そのエネルギーに引っ張られる。失礼な言い方だけど、おっさんたちのエネルギーも、それは凄まじい。ロジックは勿論だけど、何をするにも、やっぱり情熱だと思わずにはおれない。


ゼミに向けての準備の話に戻る。なんでもそうだけど、なにかを形にするには、吸収することと、吐き出すことが必要だ。今ぼくがおかれている状況は、乾いたスポンジを持たされて「水を搾り出せ!」と言われているに等しい。これはしんどい!


でも、仕事楽しい?って聞かれたら、迷わず楽しいと答えます。それはきっと幸せなことなんだと思います。尤も、いろんなものをなくしたかもしれないけども:笑

勢いに任せても下手な日本語は健在だけど、後悔はしていない。今日もオツカレサマデシタ。明日は週末!終わったら三連休です。

日常の説明責任に真摯に向き合ってプレゼン力を鍛える

今日の要旨:これから科学・技術への継続的な投資を国に求めるには、投資の必要性を一般のヒトにひろく・なんとなく理解してもらう必要がある。その上で国にアピールして説得力をもつに足るコンセンサスを形成していくことが重要だ。そのためには、まず「科学」とか、わかりにくい、小難しいものをふつうのヒトに理解してもらう努力を各自がしなきゃいけない。手始めに、自分のやってることは身近なヒトに理解してもらっているか?トレーニングは、意外なところでできるかもしれない。尤も、ぼくはそれ以前に、もっと一般常識的な部分を補強する必要がありますが。。

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連休中の twitter では先、日の事業仕分け結果と、今後科学者・研究者がとるべき行動などについて活発なつぶやきが起こっていた。その内容を大まかにまとめると、「研究者は科学・技術へ投資するメリットについて、具体的な形で世間にアピールすべきだった」、という内容ではないかと思う。


アピールの方法として
1.テレビのようなメディアを介した発表(Initiation Phase)
があって、
2.それを引き金として起こるお茶の間での会話(例えば子供が親に「どゆこと?」って聞く。Propagation Phase)
となるだろう。

両者を行う場合、それ相応のプレゼン技術が必要になるものと考えている。
ここでいうプレゼンというのは、例えば学会で行われるような、小難しく、細部にまで気を遣った、専門用語が乱れ飛ぶ(要はフツーのヒトがテレビで見たら、チャンネルを変えちゃうような)プレゼンじゃなくて、ニセ科学的のテレビ番組に代表されるような簡略、インパクト重視で、大まかな理解をしてもらうためのプレゼンであろうと思う。(http://d.hatena.ne.jp/sheepwolfskin/20091113 にも書いた)

プレゼン内容や方法は、相手のバックグラウンドに応じて変える必要がある。けれど、通常細かい内容をプレゼンする(例えば学会、研究室内、社内 MTG)場合には、聞き手もそれ相応の知識を持っていることが殆どだ。必要以上の配慮をしなくても分かってもらえる、ツーカーの雰囲気がある。
一方、そのような細かい内容を、フツーのヒト、例えば、近所の子供にわかってもらうことは非常に難しい。前提として要求される情報を相手は何一つもっていないのだ。と同時に、こちらも手持ちの「噛み砕き表現」を持ち合わせていないことが結構多い。しかも、それを意識する機会は殆ど無い。


この「小難しいことを相手に伝える」場面は、じつは日常の意外なところに隠れている気がする。例えば、「今日も仕事なの?」とか、「パパなんて今日おでかけできないのー?」とか、「えー、また?もう、培地交換って何なの?!いつも何してんの?わたし細胞どっちが大事なの?」とか、そんな日常のすれちがいをきっかけに、自分が普段していることを話す機会だ。大げさに言うと、こういった説明責任が生じた場面で、真のプレゼン能力が鍛えられるのではないかと考えている。手短に、さしあたり納得してもらうことが目的。ちょっと興味あるなー・・・を、へぇー、なんかおもしろそう。に変える、そんなプレゼン。
このような齟齬が生じる場面は、相手に自分(の仕事)についてのバックグラウンドが乏しい場合が多いので、とてもいい練習になると思う。「何をしてるのか、全然わかんない、こいつ何してんだろ?」を「へー、そんなことしてんだ、よくわかんないけどなんかおもしろそうね」に持っていけるようになったら、自分の科学についてプレゼンする能力は及第点に達していると判断していいのかなと考えてる。これはなにもサイエンスに限ったことではないけど、たんなる趣味と違って、説明に前提が必要なので、なんとなくの理解が重要と思っている。



もっとも・・・
「何してんだろ?」が「そっか、まあ、どーでもいいや」になったときは、それがプレゼンの問題なのか、プレゼン者自体にたいする興味の問題か、わかりませんけれど:笑 今回の科学・技術の問題に戻ると、まずは、身近なヒトのちょっとした興味の扉をひらけるような、そんなプレゼンができるようになりたいなーと思うし、そのためにもっといろんなことを知りたいなというのが当面の目標です。

行政刷新会議雑感:正しさとわかりやすさの按配については政治に倣うべきか

行政刷新会議HP

http://www.cao.go.jp/sasshin/index.html

twitter で話題になってた事業仕分け-科学技術関連-の結果についてちょっと調べてみました、眠れないので。(科学関連は13日金曜日に会議がありました)

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要旨:勉強不足なので会議の本質がわかんない。会議の各論(科学関連の予算削減)については、当事者としては世間に強くアピールする明確な材料が無いので、ホントに残念だけどしょうがない。。削減理由について、科学技術分野に限らず、政府は当該分野に説明責任を果たすか注目している。何を見殺すという判断か。マスコミやジャーナリスト、野党には見えざる膿を追及してもらい、ふわふわ政権の本性見たい。
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上記の HP で科学関連をはじめ、今回議論の俎上にあがったものについて、ごく簡単に要旨(というより結論だけ)がアップされてます。議事録も非常にシンプル。お金はないので、ないところから削りましょう、でも時間も会議の予算もないので、検討対象は予めある基準に則って選んでます、とのこと。


あらかじめ削るために取り上げられた事業が揃っているんだから、個々の案件に関して軒並み減額、あるいは廃止という結果は「予定通り」なのではないかと思いました。これは科学技術に限らず、情報技術、農水関連についても同様でした。


ここで政府にとって重要なのは一般市民の感覚で「べつに必要なくね?」で処理できそうなところ、怒らせても(彼らにとって)怖い後ろ盾がなさそうなところを潰して、ムダ排除という明確な成果を残すことだったのではないかなと思っています。アピールとして受けのよい方法だと思いますが、検討対象の絞込みとかが明確になってないので、明るみにでなかったところにまだ相当の膿があるんじゃないかなと邪推しています。そもそも、この行政最新会議の前提が相当あやしいんだけれど、そこを議論させないように各論に絞ってそれらしい会議をやっている、そんな印象を受けています。


勿論国とて振れる袖は決まっていて、日本国そもそも借金まみれです。小市民としてもムダはご免ですし、その辺を考えるのが政治の役割と思っています。今回の結果を導くにあたり、彼ら的な優先順位があるのでしょうから、このたび削減が決定した部門に対して、政府がどのような説明をするか、大変興味を持っています。世のマスコミ、ジャーナリスト、あるいは野党の皆様には、膿の部分を徹底的に調べて、是非すっぱ抜いてもらいたいなーと思いますし、「あぁ、日本は科学技術・教育どころか、怒らせたら怖いヒト以外は別にいいやって国なのね」という結論にならないことを祈っています。


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なるべく前向きに考えると・・・

今回のことをきっかけに、科学関連で仕分け対象になったものについて、科学に関わってないヒトにざっくり理解してもらうことはできないでしょうか。これは必要だ!っていうコンセンサスがうまれないと、これから先も「こまったら科学技術から削ろう」という流れはかわらない。こういうとき、細かい正しさはいらなくて、なくなったらこんなに困るんだよ!ってのをアピールする必要があるのかなと思っています。「水や電気がなくったら困るでしょ?」くらいのインパクトで。少なくとも科学をやってるヒトの大部分にとって重要な案件ならば、多少の飛躍もありなのではないでしょうか。政治なんて、当選までの活動は殆どトンデモ高い理想を語るだけですし、そういうヒトが会議してるんですし。削減対象となった各事業が、世間にアピールする方法を考えないと、逆に効率化の名のもとに世間にアピールするネタにされかねない。アピールするすべが無ければ、今回の結果に反論できない。(会議の前提を崩せるなら、それが一番いい)


アピール方法、残念ながら、ぼくには具体的なアイデアがないのが弱いところです:涙


最後に、HashTag #shiwake3 について、リンクを掲載しておきます。
(問題ありましたらお知らせください)

wiki http://mercury.dbcls.jp/w/
会議録音 http://d.hatena.ne.jp/riocampos/20091113/p1

うすっぺらい

最近 twitter で「遊ぶ」ようになった。アカウント自体は学生のときに取得したんだけど、当時は今ほど話題になってなくて、ネット界隈で活動が盛んな人を中心に使れてるサービスだなーという、そんな印象だった。使い方がよくわからなかったし、使ってるヒトのクラスタが偏ってる印象があってTwitterfeed だけ取得して塩漬け。


それが今年になって俄かに話題に。そしていろんなヒトがつぶやくようになった。同業のヒト、親戚業種のヒトそれからコンサルタント、会社経営者。こういったヒトのつぶやきをフォローしてると、色々と考えさせられることが多い。世の中、優秀なヒト、おもしろいヒト沢山いるなーと思うし、なかなかつながる機会のないヒトとちょっとしたやりとりが可能なところが魅力的だと思う。


同時に、自分のポストを追っていくとうすっぺらさが浮き彫りになって、非常に面白い:涙 反面教師程度にはなるかもしれないけど、「自分にとっての反面教師は自分」にはなりえないので、日々精進して、ときに post を見返して自分を戒めることにしようかと思う。。twitter「で遊ぶ」に加えて「を使う」オプションを加えたい。

芸術の秋深まる

日本の四季から秋が外れて久しい日本列島だが、暦の上では依然として秋は存在しており、この時期になると全国各地で文化的なイベントが多数催される。そんな世間の雰囲気に乗って、美術館に行ってみた。

東京都現代美術館
http://www.mot-art-museum.jp/

ここを選んだのは、勤務中流れるラヂオから、井上雄彦スラムダンクバガボンドの作者)の巨大水墨画(3 m!!)展示が行われてる、という情報が耳に入ったのがきっかけ。しかも無料というではないか。スラムダンク世代としては、行くっきゃない。


美術品を鑑賞するには、作者の生い立ちやその作品が生まれた背景、例えば歴史なんかを知っておかないとほんとの味はわかんないよ、って人のいうもんだから、教養のないぼくは美術に縁がなかった。知識に感性を強制される、ということに小さい頃から抵抗があったのかもしれない。そんなわけで、まともな美術館は小学生以来という残念な有様:涙

閑話休題。事前情報は井上雄彦だけだったけど、折角なので「レベッカ・ホルン展」「ラグジュアリー・ファッション」「常設展」の全部を観ていくことにした。


とくに素晴らしい、と思ったのはレベッカ・ホルン展。

http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/107/

自分が知っている狭い範囲の芸術品、形あるものは皆静的状態のものが殆ど、という印象だったんだけど、ここで展示されていたのは、動的な作品。機械や電気、光に音を使った表現は非常にインパクトのあるものが多かった。会場全体を作品として捉えている、そんな印象を受けた。最も強いインパクトを受けたのは

アナーキーのためのコンサート

学芸員?さんに「これって動きますか?」と聞くと、きっといいことがあるのでおすすめ。映像作品もあり、これは展示作品の解説に近いものになっていた。そんなわけでレベッカ・ホルン展だけで 3-4 時間は楽しめる内容だった。

常設展コーナー(の最初にあるやつ)を観たときにも思ったこととして、現代美術ってのは、動的状態、空間表現がキーワードなのかなと感じた。作品が同じ状態を維持せず、絶えず変容する。加えて、モノだけが作品なんじゃなくて、それを観てる人もひっくるめてひとつの作品と捉える空間表現(これが常設にあったやつに該当する。名前忘れた)。そんな印象を受けた。モノの見方について、非常に考えさせられた。


・・・というわけで当初の目的だった水墨画はかすんでしまったわけだけれど、東京都現代美術館、展示も美術図書も非常に充実していた。連休のリフレッシュに、足を運んでみてはいかがでしょうか。