会社がなくなったらどうするか

学生の頃、就活があかんかったらどうしようとか考えたことなかったけど、いざ仕事を始めてみると、解雇リスクにどう対処すべきかを考えておかなくちゃねってことを痛感する。にもかかわらず、これまで身に着けてきたものといえば、仕事上得たスキルだったり、あやしい英語だったり、、、リスト化するとかなり少ないことに気づく。かなり焦る。なにが自分の売りなのか、丸腰過ぎて再就職できるか大いに疑問。


仕事をする上で必要なのは何か。現時点では、問題解決力と仮説設定・検証の力と思っている。いまの仕事では、一通りこれらに関連する力が身に付けられるようになっている気がする。何をするにもヒトとヒトとのやりとりなので、交渉だったりスケジュール調整だったり、雑務っぽいことも身についてくる。大きい組織であれば大きい組織であるほど、めんどくさい:笑 ただ、これらの力を付けていく上で、大きな組織にいることはプラスに作用する。実際、大学に残るよりも遥かに早いスピードで成長できたと思う。よって、会社がなくなったときに備えて、今の自分に必要なことは、人様にアピールできるような実績を今のところで積み上げることだと考えている。これも、実は新卒の就職活動と何も変わらないなーって思う。


ここで2つの疑問・課題が生じる。


1.実績の示し方。論文のように公知にできるような成果ならいさ知らず、あれだけの人数でやってる企業の仕事。Confidential に溢れる仕事をどう扱えばよいのか??日の目を見るプロジェクトに携わっていないと、信用できない気がする。会社がなくなったらプロジェクトはどこに帰属するか。ばら売りPJの買い手だと思うけど、、


2.同業他社、異業種、同業他職種への売り込み方。何を必要としているか。できるならまだ研究を仕事にしたい。そうなると、今のところにいるうちにドクターをとらないと。ネタはある。が、これも数年内に会社がなくなったらアウト。意外と厳しい。


このままでは何の売りもないのでつぶれたら再就職難民確定しそうということが明らかになった。会社入ってすぐにつぶれたら不運としかいいようがないですね。



ということで2011年の目標は

・上記2点について具体的な策を練ることが出来ている。(向こう2、3年で材料を持っているように活動する)

・英語、英会話をぼちぼちのレベルにする。英語力を全然反映しないと承知のうえでTOEICスコアをあげる。(最低800かな・・・)英語関連の社内研修は業務に支障のでない範囲で活用する。

・FP検定に合格する。

・外部発表用データをさくっとまとめる(達成できそう)。


こんな感じでやって行きたい。あけましておめでとうございます

2010年を振り返る

晦日なので今年一年をざっと振り返っておく。最も大きなイベントは入籍したこと。年頭の段階では、まさか人の夫になるとは思っていなかった。人生何があるかわからないものですね。


仕事面は非常に充実していた。担当しているテーマは、外から見ると順調そのものだそう。壁は沢山あるけど、いくつかの問題を明確に解決できた。今後のキーワードは仮説設定力。どこまでもののポテンシャルを引き出せるか。手がかりがない中でやるのはこれまでどおり。来年もちゃんと成果だせたらそろそろ、そこそこやるじゃんくらいに認めてもらえないかなー:涙


その他の面では、なぜか簿記を取得した。研究、語学の次はお金の勉強もしようということで来年はFPでも取ろうかな。


それではよいお年を・・・

はじめての人間ドック

初めて人間ドックを受診した感想。

・エコー検査はくすぐったすぎて辛かった。
バリウムはイメージほどきつくなかった。げっぷ我慢より、体位調整のほうがよっぽど難易度高いという感想を持った。
胃カメラバリウムは選択なんだけど、胃カメラに耐えられる自信がなかった。

エコー、胃検査、眼圧は苦手なヒトが多いらしいので、医療機器の進歩があれば受診者ウケはより改善しそうと思った。人間ドックは受診した病院による違いも結構あるらしく、今日受診したクリニックはスムーズで感動した。

http://www.marunouchi-c.org/

ちなみにここでは、1500 円分のギフト券?みたいのがもらえる。ちょっと遠出してでも、その後の時間を丸善なんかで有意義に使えて非常にいい休日を過ごせるのでオススメ。来年からここで体の状態を把握しようかなー。

私的理想:企業研究者編

前回の続き。ではどんな研究者を理想とするのかぼんやり考えた。

たぶん、端的には
「適切な判断を経営に下してもらえる研究者」
だと考えている。

うまくいくか、うまくいくかわからないのが研究というのは、大学も企業もかわらないところ。一方、大学と企業の違いのひとつは、意思決定に関わる人間の数の多さだと思う。研究面での成果がよくても、その他の要因で企業の研究は簡単に潰れる。よくない成果であれば、勿論潰れる。サイエンス面の評価も、マーケット面の評価も、会社の方向性も、全部あってはじめてお金を出してもらえる。なので、研究者の仕事は、サイエンスの面で、テーマを客観的に判断してもらえる材料を揃えることと考えている。

結論を出せる研究者、というシンプルな姿。書くのは簡単だけど、どこまで材料を揃えるのか、限られた時間に甘えていないか。キラー試験をやるのは大事だけど、判断したという事実を残すために殺しちゃいないか。その辺のバランス感覚の優れた研究者が理想かなぁと思う。

目標にしたい存在がいない

社会人生活2年目ももうじき終わる。就職当初にもっていた不安は「ついていけなかったらどうしよう」「使えなかったらどうしよう」みたいな不安が多かった。実際、そんなことを記録にも残している。


そして2年目。研究を仕事にしていくの無理かもガクブル、とは思わなくなってきた。明確な成果を出せているし、外の部署とのコラボも推進することも出来た。そうこうしているうちに、なんとなく、物足りないな、と感じることも多くなってきている。


会社には、優秀な人が本当に多い。が、情熱を滾らせて仕事に取り組む、そんな人に出会う機会は意外と少ないのかもしれない。中堅〜年配研究者にはこのタイプはまだいるが、若手研究者には少ないように感じている。


仕事に対する考え方はひとそれぞれで、どんな働き方も否定されるべきでない。(成果さえ出していれば)が、パッションを感じない研究者って、なんか不思議な感じ。


会社に入ったら、最初に「目標になる人を見つけることが大切だ」とよく言われる。それは、近い将来の「なりたい自分」を見つけて、そうなれるよう、越えられるよう努力すべきポイントを盗めってメッセージだと思う。ぼくが今職場にほしいなーって思ってるのは情熱であって、こんなふうに思うのは、まだぼくが会社に入って日の浅いワカモノだからかな?なんて考えてしまう。ぼくのいるチームは幸いにもガッツとパッションのある人が揃ってて、仕事しやすいんだけど。この人優秀だなーって思う人が多いのに、目標にしたいような人は、いないんですね、パッション的な意味で。


・・・そんな中、会社の先輩が、「キミの研究室の先輩と学会で出会ったよー」と教えてくれた。彼(研究室の先輩)は、4 つ年上の博士課程修了者。学部生時代に自分で立ち上げたテーマで3報筆頭著者の論文を出したキレ者だ。勿論・・・後輩には厳しく、ちょっとしたアラも逃さなかった。仕事の仕方は、とてもじゃないがまねできないと思ったけど、目標とする先輩のひとりであった。今は某同業他社で働いている。こわいくらいに優秀だった先輩は今どうしているのか、あの頃みたく狂ったように仕事してるんだろうか。お酒でも飲みに行って、いろいろ話して刺激を受けたいなーなんて、そんなことを思った。

選んだ道を正解にする

上期が終了し、上司と面談。
上期の成果と今後の目標、さらにキャリア形成の希望なんかを聞かれる機会がまたやってくる。

目標設定をかなり高めに設定したので、どうかと思ったけど
折り返し地点ではかなり先行+αの成果を出せて一安心。
でも具体的な目標設定を、一年分の進捗を、期首に予め文章にかけてしまう研究って
よっぽど奇跡かよっぽどしょぼいかのどっちかじゃないかと思う。

5 年後、10 年後どのような仕事をしたいか、と問われるけど
そんな先に、いまの職場あるかなぁ、ないだろうなぁー。

・・・そんな時代だから、都度、選んだ道を正解にするんだって思うことにします。

人生がとじていく

仕事としての研究生活をスタートして2年目も折り返し地点を迎え
会社のスピード感とサイエンスに驚き(と同時に大学にちょっとガッカリして)
必死だった1年目。

2年目を迎え、かなりの部分で主体的に仕事をすることができるようになってきた実感がある。
付加価値、というのだろうか、公知になっていない部分に積極的に踏み込んで
明確な意味づけをできるようになってきている。
素材の強み、弱みをはっきりさせていく。
えらい方に正しくサイエンスを見てもらえる材料をそろえるにはまだ時間が必要だが、
ちゃんとしたパッケージづくりに貢献できるという確信がある。

モノを見出す、モノを育てる、うえで考えるべきこと、より前進するために必要となることを
リアルタイムで学びながら進んでいく感覚は、新鮮で、興味深い。
今後に絶対活きる経験となると思う。最初にアサインされる仕事、もっといえば人事運って重要だ。
人運に恵まれる、これについては類を見ない幸運を、ぼくは持っているように思う。


が。
これでいいのかなという不安もある。以下の 3点によるものだ。

(i)研究という仕事について

企業で研究を仕事とするのは、安定しているように見えるかもしれないけど
全然そんなことない。
博士号をもってなかったら、免無も同然と判断されるし
会社での仕事ってどのくらい転職市場で生かせるものなのか、わからない。
5-10 年のうちには、さらなる合従連衡が進む気がする。
キャリア形成を考えると、今後数年は研究でしっかりとした土台を作らなければ
あっという間に何もできない中年が完成してしまう。
さしあたり、キャリア形成の観点でも研究を続けていきたいと思うが(仕事は楽しいし)
一方で研究仕事、今後はますます求人なくなるだろうと考えているので
チェンジするなら早いほうがいいのか、、、などとも思い始めている。

悩まい。お金の勉強と帳簿の勉強、これに関してはとりあえず資格を取得し
英会話にも通い始める。が、本質的なヘッジにはなりえない。
仕事がつらい、という知り合いが多い中、仕事が楽しい、なんていうのんきな感性をもっている
自分に対して、鈍感にも程があるのではないかとも思っている。


(ii)ライフイベントについて

年齢が年齢だけに、結婚というイベントを避けられなくなってくる。
そういえば、ヒトはなぜ、結婚するのだろう。
結婚が、互いを縛りつけあうものであってほしくない。
そうであるなら、縛られた縄をでもって繭を拵え、閉じこもってしまいそうだ。
言ってしまえば、見知らぬ二人であった夫婦は
ときに互いに見つめあい、ときに同じ方向を向き、ときにやわらかい安心感を持って
二人の世界をひろげていく、、そんなものであったらよいのだけれど。
所詮、男の、都合のいい考え方なのだろうか。


(iii)人生がとじてゆく

おおざっぱに言って、人生は、上記2点が大半を占めることになると思う。
ときにそれはオーバーラップし、互いを制限しあう。
自分とは関係ないところで意思決定が行われる。
みな、それを背負って、「大人になる」という。
ぼくはすでに「いい大人」のはずだが、ないものねだりな自分との付き合い方に苦慮している。
仕事も、アフターも充実しているはずなのに、自分自身の中にある閉そく感はなんだろう。
なんだか、どんどん先が見えてしまう、閉じていく感覚がある。
夢がなくなっていく。
(あ、これって中二病っていうんだっけ???)


そんなことを考える、いまだに大人になれない、そんな社会人2年目のあき。