人生がとじていく

仕事としての研究生活をスタートして2年目も折り返し地点を迎え
会社のスピード感とサイエンスに驚き(と同時に大学にちょっとガッカリして)
必死だった1年目。

2年目を迎え、かなりの部分で主体的に仕事をすることができるようになってきた実感がある。
付加価値、というのだろうか、公知になっていない部分に積極的に踏み込んで
明確な意味づけをできるようになってきている。
素材の強み、弱みをはっきりさせていく。
えらい方に正しくサイエンスを見てもらえる材料をそろえるにはまだ時間が必要だが、
ちゃんとしたパッケージづくりに貢献できるという確信がある。

モノを見出す、モノを育てる、うえで考えるべきこと、より前進するために必要となることを
リアルタイムで学びながら進んでいく感覚は、新鮮で、興味深い。
今後に絶対活きる経験となると思う。最初にアサインされる仕事、もっといえば人事運って重要だ。
人運に恵まれる、これについては類を見ない幸運を、ぼくは持っているように思う。


が。
これでいいのかなという不安もある。以下の 3点によるものだ。

(i)研究という仕事について

企業で研究を仕事とするのは、安定しているように見えるかもしれないけど
全然そんなことない。
博士号をもってなかったら、免無も同然と判断されるし
会社での仕事ってどのくらい転職市場で生かせるものなのか、わからない。
5-10 年のうちには、さらなる合従連衡が進む気がする。
キャリア形成を考えると、今後数年は研究でしっかりとした土台を作らなければ
あっという間に何もできない中年が完成してしまう。
さしあたり、キャリア形成の観点でも研究を続けていきたいと思うが(仕事は楽しいし)
一方で研究仕事、今後はますます求人なくなるだろうと考えているので
チェンジするなら早いほうがいいのか、、、などとも思い始めている。

悩まい。お金の勉強と帳簿の勉強、これに関してはとりあえず資格を取得し
英会話にも通い始める。が、本質的なヘッジにはなりえない。
仕事がつらい、という知り合いが多い中、仕事が楽しい、なんていうのんきな感性をもっている
自分に対して、鈍感にも程があるのではないかとも思っている。


(ii)ライフイベントについて

年齢が年齢だけに、結婚というイベントを避けられなくなってくる。
そういえば、ヒトはなぜ、結婚するのだろう。
結婚が、互いを縛りつけあうものであってほしくない。
そうであるなら、縛られた縄をでもって繭を拵え、閉じこもってしまいそうだ。
言ってしまえば、見知らぬ二人であった夫婦は
ときに互いに見つめあい、ときに同じ方向を向き、ときにやわらかい安心感を持って
二人の世界をひろげていく、、そんなものであったらよいのだけれど。
所詮、男の、都合のいい考え方なのだろうか。


(iii)人生がとじてゆく

おおざっぱに言って、人生は、上記2点が大半を占めることになると思う。
ときにそれはオーバーラップし、互いを制限しあう。
自分とは関係ないところで意思決定が行われる。
みな、それを背負って、「大人になる」という。
ぼくはすでに「いい大人」のはずだが、ないものねだりな自分との付き合い方に苦慮している。
仕事も、アフターも充実しているはずなのに、自分自身の中にある閉そく感はなんだろう。
なんだか、どんどん先が見えてしまう、閉じていく感覚がある。
夢がなくなっていく。
(あ、これって中二病っていうんだっけ???)


そんなことを考える、いまだに大人になれない、そんな社会人2年目のあき。