無知の知、大学が自由な研究をできる場になれば。

先日と同じく、大学院と企業の違いについて感じたことを書き留め、続いて博士課程進学に迷っている後輩との会話から考えたことを綴っておく。


事業会社の研究開発部門は、商品を世に出すことを目的とした研究を行う。したがって、その商品の市場、および使われる現場について知っておく必要がある。また、その「知っている」のレベルは、ものの本に書いてあるようなことだけでは足りない。より現実感のある形で認識しておかなければならない。それは、学会に出て発表を聞けば収集可能であるとか、そんな次元の情報ではない。本当に大事なバックグラウンドとは、どんなに小さいチャンスでも、そこで営業をしかけて自ら獲りに行くものなんだ、ということを感じている。研究に関する背景も弱いけど、それ以上に実社会におけるニーズが全然わかっていない。ちょっとずつリサーチしていこう。



大学院で応用科学(?)を志向する研究室に所属していた僕にとって、学部 4 年と修士課程の 2 年間、「で、何が応用なのか?」という点がずっと引っかかっていた。僕は。よくある「☆☆の生体での働きがわかれば、〜〜病の治療・予防に繋がる可能性がある」みたいな謳い文句の研究をやってきたのだけれど、悪い言い方をすると、お金を獲りやすい言葉を冠しているだけなんじゃないかな、という印象はずっと持っていた。勿論、社会に直接還元できるような業績をあげることができれば素晴らしいと思うけれど、そんな研究をしている大学院は、全部の研究室の数 % なんて話を聞いたこともある。実感としても、そう間違った数字ではないように思う。けれど、学会発表なんかでは、「〜〜病の治療・予防に繋がる可能性がある」云々なんて、しれっと言ってしまっていたなーと思う。当時はそれでよかったと思うけれど。



・・・こんなことを考えたのは、先日研究室の後輩と会い、「社会人になってどうですかー?」とか、「最近大学はこんなかんじですよー」とか、そんな話をしたからだ。博士課程に進学するつもりだった後輩(=修士 1 年生)は、先の文言ではないけれど、「自分の研究が本当に社会のためになるような研究なんだろうか?(=そんなのに税金つぎ込んでいいのか?)」ということで博士進学について悩んでいるようだった。彼に伝えた僕の考えは、次のような感じだ。



・今の研究が面白いと思えば、そのまま博士課程に進むべき。


・研究は面白いけれど、それ以上に研究を続けていくことに迷いがあるなら企業研究員になるか、他の道を目指すべき。


彼の場合、博士課程に進むことにより生じる「不利益」(←一般的に言う就職難とか、そういうもの)は考えていないようだった。当然そのことは認識した上で博士課程を目指していた。すなわち、彼にとって研究をし、成果を出すことが最優先事項であった。そのような状況では、研究をする大儀がぐらつくのはしんどいだろうと思った。それなら、社会に価値を提供するシステムの中で研究業務に就いたほうが心が救われそうな気がした。実際、僕もそこまで深く悩んだわけではないし、むしろ研究は面白かった。けれど、それで何になるの?という質問にちゃんと答えられないのは嫌だ、という理由で博士にはいかずに企業にきた。

#ちなみに、企業研究員にとって博士号ってどんな意味がある?って話もあったけれど、これはまた今度の機会に


しかし(アカデミア)研究者としてやっていきたいと思っていた彼が、そんなことで立ち止まるのはもったいないなーと思った。そんなことは本来学生が悩むべきことだろうか?と。「大学は社会にもっと貢献すべき」みたいな論調が世間で強すぎて、面白い対象について、自由に学問することを大学がやめてしまっているのではないか。これでは、企業の真似事のような「御用研究」がますます多くなるだけじゃないだろうか。
確かに、企業と共同研究をするなら、大学としても、企業の資金をバックに、研究室を運営することができる。研究室がつぶれなければなんとかやっていける。一方、企業も、大学という第三者機関に外注で研究成果を挙げてもらえば、authorization などがちょっと楽になったりするのかもしれない。その意味では win-win の関係が成り立っている。でも、精神が自由であることが唯一の心の拠り所である研究者は、こんな斜陽産業みたいな環境では全然幸せになれない気がする。そんな業界に、志の高い子が果たしてやって来るだろうか。


さっき、「〜〜病の治療・予防に繋がる可能性がある」なんて知りもしないくせに学会で言っちゃってた旨を書いたけれど、別に異常なまでに研究背景に詳しい必要はないと思う。勿論バックグラウンドが強いに越したことはないけれど、実社会に運用するレベルで取り扱う人間(例えば企業や業界人)が認識していればいいことなのだと考えている。それよりも、御用研究なんかに国のお金をつぎ込まないで、常識にとらわれない研究をして、その結果前提をぶっこわせるような成果を挙げるほうが結果として社会のためになったりしないかなー、なんてそんなことを考えた。


後輩の彼のように優秀な子が足踏みしちゃうような空気は大学からなくなれば、もっと研究やりたい!って子が増えるんじゃないだろうか。甘いかなー。