「英文を前から訳したほうがよい理由」を通して英語教育を考える

うちの研究室ではゼミ形式の勉強会をやっていて、大きく研究報告会、ジャーナルクラブ(文献紹介)、英語ゼミの 3 つの会がある。来年度進学してくる学生もゼミに任意参加しており、その学部生を見てちょっと感じたことを書き留めておく。英文を前から訳すのに違和感を感じたらしい学部生を見て。

問.英文を前から訳さなきゃいけないのは何で?


答.英語を聞き取れなくなっちゃうから。

例えば通常の会話中では、会話を全部文章化して、文章の構造全体を考えてから意味を考えるなんてできない。例えば前回のエントリのネタ論文、conclusion より引用。

This suggests / the scope for reducing health inequalities / related to social position / in this and similar populations / is limited / unless many smokers in lower social positions stop smoking. //

これが例えばプレゼンでの演者の言葉だったら、いちいち文構造を考えて聞いてられないので、前から順に理解できないと付いて行けない。でも文章を訳すとき、なぜか研究室入ってきたばかりの子は文章をうしろから訳してしまう。そのほうが、1 英文 = 1 日本文 に対応させやすいからだろう。事実、日本の多くの学校(中学・高校)で英文法を教え、それに則った訳出を生徒に強制する(=点数あげない)という現状がある。この方法は間違っていないけど、文章でない英語(留学生との会話など)に出会ったとき、使えないなーと思うことが本当に多い。耳が使えない。一方、英語を前から訳す感覚が身についている子は、オーラルコミュニケーションが本当にうまいと思う。


さて、英語が極めて遺憾な大学院生の僕が思うに、Read,Write,Listen(Hear),Speak の 4つは全て語学学習で重要な要素であるだろう。が、日本での教育は Read 7 割 Write 2 割 Listen 0.8 割 Speak 0.2 割 といったバランスで実施されているように感じる。Read, Write は確かにすごく大事だし、時間のカンケーで Listen, Speak ができないだけなんだろう。けれど、4 つの要素が揃って言語となるのだから、せめて Listen,Hear も必要であるという前提にたって、前から訳す Read(= Listening と関連する) とか、実際に使えるコロケーション(=文法、語法が Speaking と関連する)とかをもっと教えてもいいんじゃないかなーと、そんなことを思う。


論文に追われて英語耳のモチベーションが下がりまくっている自分への自戒を込めて。