データが出そうな感触に思う

今日もひとつ面白い(が悩ましい)データを得まして現在考察中。次が最後のデータになってほしい=再現性がスッキリとれて欲しい・・・。動物の代謝や生理の研究は構成要素が多いのでなかなか難しいですね。参考文献にしても、都合のいいものだけ取ってきてないかとかも色々気にしますが、全く同条件で行われた研究なんてないので(当たり前)データを介錯解釈して次の仮説を立てるまではなかなか苦しく生きた心地がしません(笑)今日もなんらかの形で結果の解釈と仮説を出せるようにやっていこうと思います。腹減った・・・


思考モードに入ると時々気になってしまうのことがありまして、その話をひとつ。バイオ研究に限った話ではないんですが、生物研究はある対象や生命現象の一部を解明し、ひいては生物とはなんぞやという疑問に答えていくものと理解しています。(違ったらごめんなさい)が、近年ではそのターゲットがあまりに複雑化・ミクロ化しているような印象を受けます。僕も、そんなにマニアックな研究ではありませんが、動物個体におけるある現象に着目して、そのメカニズム解析などそこそこに細かいことをやっています。大学院の責務は、お金を貰ったテーマに関してしっかりデータを出して(ポジも勿論ネガも)論文にする。で科学の発展に貢献する、という大儀があります、一応。現在追ってる現象を説明できそうなデータが出たんですが、そうすると論文が見えてくるわけです、目標とするところですね。で、今のデータ、仮に再現性がとれたとします。きっと論文書きに本腰入れられることでしょう。しかし、本当にそうなの?と問われたら、この条件でこの方法なら、ということしかしかわからないよなぁと思うのです、今更当たり前ですが。より現実的な状態に、生理的な状態に近い実験系を目指せば目指すほど、条件が細かくなっていて難しいという印象があります。これが妥当な方法だろうと、自分も教官とディスカッションしても、他の論文を見ても思うのですが、それでも誰かから「本当か」と詰められたらよくわかりません。自信がない、のかもしれません。広く受け入れられた現象について、再現性がのいいデータ取れるというような一種の安心感がないからですかね。

科学研究(の見習い)やっててこんな考え方をするのはどうなんやろ、と現象を見つけた面白さから覚めるような感覚に襲われた、思考モードです。



・・・こんなことを考えるのは再現性がとれてから、がいいですね(笑)